最終更新日: 2016年3月2日
1.文化財はかけがえのない貴重なものです。また、信仰の対象になっているものも多く、見学の際にはたいせつに接してください。
2.所有者または管理者の指示等がある場合は、必ずそれを守って見学してください。 公開されている文化財でも写真撮影や拓本の採取等は、必ず所有者または管理者の許可を受けてください。 |
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![]() 笠森寺観音堂 |
笠森寺観音堂
大きな岩峰の上に建てられた、四方が舞台造りの「四方懸造り」という日本唯一の構造を持つ建造物です。解体修理時に見つかった墨書銘から桃山時代の建立(再建か)と思われます。空中に浮ぶかのような回廊からは長生郡市を一望することができます。 笠森寺/長南町笠森 |
![]() 鋳銅唐草文釣燈籠 |
鋳銅唐草文釣燈籠
釣燈籠は総高34.5cmと31.8cmのものが2基あり、東京国立博物館と県立中央博物館それぞれに1基ずつ保管されています。どちらも全体を一つの鋳型で仕上げる「まるぶき」という技法で作られており、製作年代は室町時代と思われます。 県立中央博物館保管(笠森寺所有)/千葉県中央区青葉町 ※展示の有無に関しては県立中央博物館にお問合せください。 |
![]() 木造阿弥陀如来坐像(報恩寺) |
木造阿弥陀如来坐像(報恩寺)
ヒノキ材を使った寄木造りの阿弥陀如来坐像です。像全体に均整が取れており、表情や衣文の鋭い線の表現など、写実的な慶派様式の特徴がよく表れています。台座天板裏に「正応三(1290)年四月卅(30)日」の墨書銘があり、鎌倉時代後期の作と思われます。 報恩寺/長南町報恩寺 |
![]() 子授けの楠(笠森寺自然林) |
笠森寺自然林
観音堂を取り囲む約6ヘクタールの広大な自然林です。古代から禁伐林として保護されてきたとの伝承のとおり、房総固有の植物相がよく残されており、学術的にも高い評価を受けています。「子授けの楠」「三本杉」などの名木もあります。 笠森寺/長南町笠森 |
星野薬局店舗・調剤室・門
江戸中期の創業と伝えられる「いせや」星野薬局はかつて宿場町として栄えた長南宿の中にあります。切妻妻入の土蔵造り2棟からなる現在の店舗・調剤室は文化2(1805)年、門と板塀は慶応2(1866)年に建てられたもので、往時の長南宿の街並みを現代に伝える貴重な建造物です。 長南町長南 ※店舗内の見学は必ず所有者の許可を受けてください。 |
![]() 黒糸肩裾取威胴丸・兜・小具足付 |
黒糸肩裾取威胴丸・兜・小具足付(附 指物2硫 鎖帷子1領)
房総屈指の戦国大名・長南武田氏の家臣だった白井家に伝わる甲冑一式です。兜の鉢裏には奈良系の甲冑師と思われる「春田定光作」の銘があります。戦国時代から伝世する貴重な甲冑です。 県立中央博物館大多喜城分館保管(個人所有)/大多喜町大多喜 展示の有無に関しては県立総南博物館にお問合せください。 |
![]() 称念寺本堂 |
称念寺本堂(附 厨子1基 棟札3枚)
称念寺は徳治2(1307)年の開基と伝えられています。現在の本堂は江戸時代中期の享保12(1727)に建立が開始され、3年後の享保15(1730)年に完成したものです。本堂内の欄間には初代伊八作の「龍三体の図」があります。 称念寺/長南町千田 ※本堂内への立入りはできません。 |
![]() 鋳銅鰐口 |
鋳銅鰐口
「上総国刑部郡大悲山笠森寺鰐口也」、「応永34(1427)年3月6日谷田大工国安」の銘が刻まれています。谷田は現在の市原市矢田、国安は谷田を拠点としていた鋳物師と思われます。中世上総ではこのような鋳物師が多数活動しており、彼らの活躍を物語る資料です。 県立中央博物館保管(笠森寺所有)/千葉県中央区青葉町 ※展示の有無に関しては県立中央博物館にお問合せください。 |
![]() 鋳銅孔雀文磬 |
鋳銅孔雀文磬
磬とはもともと中国古来の打楽器で、日本では奈良時代以降に仏具として用いられました。文様の間に笠森寺の寺名、室町時代の応永33(1426)年の紀年銘、鰐口と同じ大工国安の銘が刻まれています。在銘の磬としては県内最古のものです。 県立中央博物館保管(笠森寺所有)/千葉市中央区青葉町 ※展示の有無に関しては県立中央博物館にお問合せください。 |
![]() 梵鐘 |
梵鐘
正応3(1290)年創建と伝えられる報恩寺に伝わる梵鐘です。徳治元(1306)年、願主花園蔵人入道能円、埴生郡雲上山報恩寺金剛院の銘が刻まれていますが、”埴生郡雲上山-”は追刻であり、元は他の場所にあったようです。また、上帯に溶け切れなかった古銭が見えています。 報恩寺/長南町報恩寺 |
![]() 木造慈恵大師坐像 |
木造慈恵大師坐像
慈恵大師とは天台宗中興の祖であり、また魔を降伏させるとして民間信仰の対象でもあった良源のことです。延徳2(1490)年、鎌倉円覚寺大仏所の仏師による作であること、長南次郎平常秀が寄進したことなどを記した墨書銘が残されています。 長福寿寺/長南町長南 |
![]() 芝原人形製作用具 |
芝原人形製作用具
芝原人形は江戸浅草の今戸人形の流れをくむ素朴な土人形で、その名のとおり、明治時代初め頃から長南町芝原の田中家で製作されていました(現在は4代目千葉惣次氏が製作)。振ると人形の中の粘土玉がカラカラと鳴ることから”石ころ雛”の別名があります。製作用具は原型・抜型・彩色用具等で、明治~昭和40年頃まで田中家で使用されていたものです。 長南町郷土資料館保管(個人所有)/長南町長南 ※長南町郷土資料館で常設展示しています。 |
![]() 油殿古墳群 |
油殿古墳群
前方後円墳2基、円墳2基からなる古墳群です。特に墳長93mを測る大型の前方後円墳である1号墳は、4世紀末~5世紀初め頃の築造と考えられ、古墳時代前期の房総半島太平洋岸では最大の規模を誇っています。昭和49(1974)年の早稲田大学による発掘調査では墳頂部に埴輪壷が巡らされていたことが確認されました。 長南町豊原 |
![]() 白井鳥酔の墓 |
白井鳥酔の墓
元禄14(1701)年、地引の代官の家に生まれた鳥酔は、一旦は継いだ家督を弟に譲った後、俳諧を志して江戸で佐久間長水に師事しました。松尾芭蕉の没後、俳諧は低調卑俗化する傾向にありましたが、鳥酔は芭蕉の正調俳諧を説き続け、天明の俳諧復興に大きな功績を挙げています。 正善寺/長南町地引 |
![]() 能満寺古墳 |
能満寺古墳
芝原にある墳長73.5mの前方後円墳で4世紀の築造と思われます。昭和22(1947)年の明治大学の発掘調査によって舟形木炭槨と呼ばれる埋葬施設と銅鏡、銅鏃、鉄剣、鉄刀、玉類、鉄製道具類などの副葬品が見つかっています。房総の大型前方後円墳としては最古のグループに属しており、房総古代史を紐解く上で重要な遺跡と言えます。 長南町芝原 |